薔薇の騎士

f:id:septcinq:20160519174015j:plain

自分の最も愛する人を他の誰かに譲る。

これはとても切なくそれでいて高尚な魂を持つ人間にしか決して成し得ないことだ。

 

オペラ「薔薇の騎士」は、リヒャルト・シュトラウスの作品で、昨日わたしはオペラバスティーユで初めて全幕をみた。

美しい貴婦人が、愛する17歳の青年を、若くて美しい少女に譲る話であるが、第一幕での貴婦人と青年の、本当に楽しそうに愛し合っている様子を見ているが故に、第三幕で愛する青年を遠ざけて、少女と結びついた様子を見守る貴婦人の切なさが引き立つ。

 

自分の愛する人と共に歩まない人生を自ら選ぶ

なぜならそれが若い青年にとって正しい道であるから

 

大人だ。

 

どんなに愛し合っていても、それが自分と相手のために正しいものではないと思った時、この貴婦人”マリアテレーズ”は、青年”オクタヴィアン”を手放した。自分が彼に比べて年をとっていることを認めなければいけない。どれだけ美しく魅力的だからといって既婚であることを認めなければいけない。大人として、そして気高い身分の誇りとして。

 

彼に銀の薔薇を渡してー

 

その銀の薔薇が貴婦人から青年の元へ、そして青年から少女の元へ

 

美しく輝く銀の薔薇は最後青年と少女の手の中で赤い薔薇に変わる。

そこには若く艶やかな新たな愛がある。

 

ーごらん、若い恋人たちだー

 

ーええ。ええ。そうね

 

 

様々な愛の形がある。

 

相手を恋い焦がれてやまないものも、傷つき傷つけてしまうものも、遠く離れていても穏やかな海のようにしんとした深い愛で満たされているものも

 

わたしは彼を愛したことを忘れない。

彼との物語を忘れない。

 

 

イサベルへの手紙

 

マダムイサベル

 

4月のバカンス前以来、全く連絡せず、本当にごめんなさい。私には考える時間が必要でした。体調が悪いなどと嘘をつくのは嫌だと思っていたら、結局何も言えませんでした。

もう5月13日は過ぎてしまいました。わたしはそれが分かっていながらも、何もしませんでした。あなたに相談しようともしませんでした。なぜならその時にはもう答えは出ていたからです。

わたしは試験を受けません。

わたしがこの場所にいながらこの選択をすることが、常軌を逸していることは理解しています。でもわたしは、こうすることが自分が自分であるために必要な選択だと考えます。

あなたは素晴らしい教師です。あなたと出会えたこと、あなたと出会うまでに歩んだ道を、わたしは何一つ後悔していないし、自分を誇りに思います。

ただ、わたしはあなたと合わなかったのです。

それは、わたしが悪いわけでも、もちろんあなたが悪いわけでもありません。わたしはとても窮屈に感じてしまいました。そしてこのままあなたの元で学び続けることに、違和感を覚えました。わたしは、自分が自分らしくいられないと感じる教師の元で無理に我慢して学び続ける必要は全くないと思います。

わたしはこの世界の中で、あなたに認められるために生きているわけではない。大事なのは、わたしがわたしらしくいられること、そしてそれが何よりも大事なのだということを、決して忘れないことです。

 

わたしは、あなた達の世界から離れ、踏み出します。

ここではないと感じた、”わたしの場所”がどこなのかまだ分からないけど、それを見つけるのがわたしの人生であり、わたしが成すべきことです。そしてわたしにはそれができます。例えどんなに遠くても、長い時間がかかっても、きっと見つけます。わたしは日々の小さな選択を決して誤らず、自分の心に嘘をつきません。みんなが忘れてしまいそうになることを、わたしだけは絶対に、忘れません。

人に親切であること、家族と友達を大切にすること、自分が自分らしくいられること、自分を愛してくれる全ての人に、恥じない生き方をすること。

わたしはいつか必ず、そしてもしかすると近いうちに、”わたしの場所”がどこなのか、きっと答えを見つけます。

 

わたしにそれを探し求めるきっかけを与えてくれたのは、紛れもなくあなたなのです。

 

最大の感謝と、愛を込めて。

 

18.5.2016

 

P.S. わたしはあなたのウインクがとっても好きでした。

世界の片隅から

自分の考えや心の内で思っていることを文字に起こすというのは、何だか大それていておこがましいというイメージがあり、今までいわゆるSNS機能を使いこなすことなどもせず、一読者として傍観していることが”正解”だと思ってきた。

しかし自分の存在を誰にも知られることなく、”septcinq”などという、ただ今目の前の壁にある、以前自分が貼り付けたお店のシールの名前だけの存在で居られるのなら、私はむしろ敢えてこのような形で何か書き残していきたいと思った所存である。